| 平成16年7月24日、恒例の南郷サマージャズフェスティバルが開催されることになりました。 |
| 回を重ねるごとに15回目の記念すべき時を迎えました。 これも偏にジャズファンの皆様方、特に南郷ジャズフェスティバルファンの温かい御支援の賜物であり、深く感謝しているところであります。 |
| このジャズフェスティバルは地域の活性化を目指したイベントでありましたが、その頃は地域振興の方策として音楽(ジャズ)を取り上げる町村はありませんでした。 |
行く先不安もあり暗中模索の感がありました。 正直言って、これまでに成長するとは予想していなかった。
この計画を進めるに当たり、何よりも先に円輪の了解を得ることだった。 住民、議会等の了解をいただくことに時間を費やしたことを思い出します。 |
第1回目のフェスティバルは屋内体育館で挙行された。
スペシャルゲストとして猪俣猛氏(ds)を招いて行なわれた早慶戦。 早慶戦といっても野球ではなくて、早稲田大学(ハイソサエティオーケストラ)、慶応大学(ライトミュージックソサエティ)によるビックバンドの競演でした。
聴衆も1,100人位で一安心する。 |
早慶戦で聴衆の感触を得たので、2回目以降の準備にかかった。
まず出演するプレーヤーの選択が重要課題であった。このイベントを継続して、盛り上げ ていく為には、そうしても内外ともに知名度のあるトップクラスのジャズメンを確保することであった。 |
| その対策の裏話を一つ紹介します。 |
| 当時アメリカでも日本でもトランペット奏者としては、その頂点に君臨していた日野皓正氏からどうそても南郷のステージにたってもらいたい。 |
| ところが南郷みたいな小さな田舎のイベントには簡単に来てくれる訳がない。 そこで一計を案じたのは豹を得んとすれば何とかやらで、まず皓正氏の実弟元彦氏(ds)を第2回のフェスティバルに招くことに成功しました。 |
| そのコネが生かされて第3回のフェスティバルに待望の日野皓正氏が颯爽と現れました。 |
| ところが、この日は生憎の雨となった。 小雨決行で演奏が続けられた。 |
ラストステージで日野皓正氏が出演する頃は猛烈なドシャ降りの雨となった。
心配して伺いをたてたら、本人は敢然として演奏を続けるとの決意を示してくれた。 3,000人を超える聴衆は傘をささずスブ濡れになっても席を立つ人はありませんでした。 |
| 当然、日野さんが着ていた黒いシャツが肌に密着し、トランペットからは雫が流れ落ちる状態でした。まさに出演者と聴衆が一体となった瞬間でした。 |
| この時で南郷ジャズフェスティバルの確固たる方向が決定付けられたと思っている。 |
| それ以降は年々歳々内容も充実し出演者も国内外のトップクラスのプレーヤーがステージに立ち、聴衆者も増加し、熱烈なジャズファンも定着して来た。 |
| 今日参集いただいている30%くらいは1回目から15回目まで皆勤賞に値するファンの方々だと思っている。誠に有り難い限りでありまして、心から感謝とお礼を申し上げたい。 |
| また多くのファンの方々からここまで来たのだから、年に一回だけのイベントではもの頼りがない、なんとか対策を考えてくれとの要望が強かった。 |
| フェスティバル位の規模の大きいものは出来ないが、少人数でジャズを楽しめるライブハウスを計画したのは、その為である。 |
現在ジャズの館は150名程度収容可能な施設である。
建物構造それ自体ジャズの為のもので音響効果は抜群である。 スピーカーは今世紀最後の絶品と言われた英国製の復刻版を使用し、徹底して音にこだわり、更に館内には名盤LP・CD等あわせて6,000枚も準備されている。
是非一度御来館戴きたい。 |
最後になりましたがジャズと言えば南郷、南郷と言えばジャズと言うように自他共に認めるまでになった。
これは多くの方々の支援の結果であることは言うまでもない。 特に当初から計画参加指導をいただいた青森diskの鳴海廣さん、そして東京の国際的なジャズメンの写真家、中平穂積さん有難うございました。 |
| 第15回南郷サマー・ジャズ・フェスティバル・プログラムより |
| 壬生末吉氏を偲ぶ追悼コンサート |
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